社会不適合者の私があなたへ【前半】

こんにちは:8]
まどら~です。

「タイトルが重いよ!」
「いきなりなんなの?」

と思いますよね!

すみません。すみません。

アルバイトの面接終わりに思った事が沢山あったので皆さんにお話したいと思ってiPhoneで筆を執っております。

昨日私はアルバイトの面接をとあるお店でして頂きました。
前回の記事で書きましたが、実は今月別の面接も受けていたのですが、不採用でしたので別の場所へ。

↑ここなんです。

皆さん、アルバイトをされたことがありますか?
アルバイトの面接って…落ちますかね。

いや、落ちるのは分かってます!
現に私が落ちてるんですから。

そうではなくて、
企業側から見たらたかが数ヶ月、数年働くだけの学生アルバイト…。
人が足りていないから求人を出している…。

のにも関わらず、
私まどら~、人生で3回アルバイト面接で落ちています。

7回面接経験があるのですが、
3社非採用でございます。

社会不適合者と言われてもおかしくない私。
21歳、就活前にして前途多難にも程がある。
私も人生まだまだですが、私より若い方もしくは私より若いお子さんを持つ方に、私がどうしてこうなってしまったのか。
私なりの考え~私の人生に添えて~
をお話したいです。(フランス料理風にしてみたもののダサい)





小学生低学年時代

今の私から見た当時の私は
「いけ好かない女」
この一言に尽きます。

・話さない、声が小さい
・すぐ泣く
・運動が出来ない
・スカートを履き室内で大人しくしている

以上の3点から
女からは避けられ男からはからかわれ
毎日泣きながら学校から帰宅していました。

それもそうだ。

幼稚園は毎日バスに50分揺られ
私立幼稚園に通っていて
習い事はバレエとピアノ。
それ以外の日は外で遊ばず、読書か勉強。

マンションに住んでいたにも関わらず、
「近所の友達」が1人もいませんでした。

おかしい話ですよね。
理由は簡単です。
自分の意思で外に出して貰えなかったんです。

「危ないから」
「そんな暇ないでしょう」
母親が言っていたのはこんな感じの理由でした。

お陰様でお嬢様の様な性格に育ちましたら、学校社会不適合者となりました。
当たり前です。
6歳にして学校が苦痛でした。
でも病気をしない限り、絶対に休みませんでした。
「学校はお友達と遊ぶ所ではなく勉強をする所」でしたので。


小学生中学年時代

幼稚園から続けていたバレエのお話です。
今までは地域で有名な先生の分校の様な所で習っていたのですが、ついに本校に行くことに。
ドキドキですよね。
有名な先生の教えで習うんですから。

そこで出会った1人の友達が私の人生を変えました。
彼女の名前はアイちゃんとしておきます。
アイちゃんは一言で言うならば、失礼な人。
お嬢様育ちプライドが富士山より高い私。
「私にそんな口の利き方をする子は初めて」そんなレベルですよ。

今考えれば当時の私とアイちゃんの相性は最悪。
しかし同じ教室唯一の同い年とあれば自然と話す機会も増えます。
徐々に打ち解け仲良くなりました。

彼女はものをハッキリ言うタイプで気の強い意地悪な子でした。
対して私は何も伝えられない気の弱いけどしたたかで意地悪。
恥ずかしながら根本はまあ同じです。

バレエ教室なんて私語厳禁に決まってるのにベラベラ話したり、小さいイタズラをしてはしゃいでたり、そんな自由なアイちゃんに怒りつつも羨ましくありました。

カラッとした性格に惹かれ私も変わっていきました。
ある程度失礼な事を言われても「冗談だ」と思うか「どうしてそんなこと言うの?!」と泣かずに怒る事が出来るようになりました。
そんな事も私は出来なかったんですよね。

私はアイちゃんの事が大好きでバレエも何だかんだ上手で人として、ライバルとして、とても尊敬していました。

ある日突然バレエ教室を辞めることになりました。
母親の都合です。
私の意思はそこにはありません。
あまりにも突然だった為私はアイちゃんにお別れすら言えませんでした。


小学生高学年時代
(趣味編)


失礼なアイちゃんと話していたおかげが4年生のクラス替えを機に突然友達が沢山出来ました。

当時本も漫画もとても読む子供だったので、クラスメイトと少女漫画の話で盛り上がりました。
4年生になりクラブ活動も始まり、イラストクラブに入り、そこでも友達が出来ました。

自作の漫画雑誌をメモ用紙で作り、友達に「絵が書けるなら私の雑誌で漫画書いてよ!紙のサイズは○cm×○cmで最低15ページ。〆切は来週ね!」とまるで編集長気取りの事をやっていました。
友達もまどら~ちゃんは絵が上手だねと
沢山褒めてくれたので天狗でしたね。
確かに年の割には上手かったけど美術はサッパリだぞ。

バレエを辞めた私は週2日学校終わりの時間が空いていたので、出来る限り漫画や絵を書く事に力を入れていました。
毎週5作品を5人の漫画家になりきって雑誌を作り上げるのです。
この人は甘い恋愛漫画、この人は少しドロドロとした漫画、この人はギャグ四コマ…。
などと器用な事をしておりました。

ちなみにその雑誌数えたら100はとうに超えておりますし、今でも元住んでた家にあります。
500話は漫画を描いたことになりますね。

それくらい漫画と絵を愛していました。

そんな私を母親が許すはずもなく。
バレエの代わりに音楽を習わせたいと、フルートを始めました。

のだめカンタービレという漫画はご存知ですか?
奇才音大生の日常音楽マンガです。
ちょうど当時ドラマが放映されていて、完全にその影響を受けた母親は近くにあった教室に私を投げ入れました。

ピアノも向いていなくてとっくに辞めていたのに、「必要でしょう」と言われ再度やり始めました。

レッスンの時間が大好きだった「きらりん☆レボリューション」のアニメの放映時間と被った時は泣いてしまいそうでした。
いや、泣きました。

漫画をこよなく愛していたのにその時間を削らなくてはいけない。
私が創刊していた雑誌は間もなく廃刊致しました。。。

長くなってしまうので続きは明日!
よろしければお付き合いください

【追記】社会不適合者の私があなたへ【後半】→



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